「雑記・雑録」カテゴリーアーカイブ

医療の進歩に感謝

退院した老母、しばらくは調子もよさそうでしたが、急にまた元気がなくなり徐脈で再入院となってしまいました。

いろいろ治療を受けてもなかなか心拍数が上がってこないものですから、心臓ペースメーカーを植え込むことになりました。どんな大手術になるのか?と心配になりましたが……、

医学の進歩はすごいものですね。ごく小さく薄いペースメーカーを鎖骨の上あたりの皮下に植え込み、そこからリード線を心臓まで這わせるという手術なのですが、1時間半ほどで無事に終わり、なんと翌日には退院できてしまいました(驚)。

体力回復には少し時間がかかりそうですが、とりあえず心臓の方の心配はあまりなくなり、ほっとしています。医療の進歩に感謝m(_ _)m

――そんなこんなで先々週末から先週にかけてえらくバタバタしまして、書道の稽古もあまりできず、ブログの更新もできませんでしたが、少しずつペースを取り戻していきたいと思っていますので、今後ともよろしくご愛読ください。

それではまた(^^)/

新居で初稽古

土日もずっと片付けを続け……、日曜の夜8時をだいぶ過ぎて、ようやく勉強部屋が片付きました。

やっと書道の稽古もパソコン作業もできる状態に(´・`;)ホッ

しかし、書道関係の本以外は手当たり次第に本棚に詰め込んだだけだし、パソコンと周辺機器の配線は冬眠中のヘビたちみたいにからまりあって、何がどこへつながっているのか、わけのわからない状態……あらためての整理必須(^_^;

◇◇◇

疲れた……。しかし1週間も稽古を休んでだいぶフラストレーションがたまっていたようです。少しでも書きたい!書けるようになった以上、書かずにいては安眠できそうにありません。

というわけで――、

201602新居で初稽古

入浴前のほんの30分ほどでしたが、ひらがなを「あ」から「り」まで復習臨書。次にブログに上げる予定の「るれろわ」もちょっと練習し、これが新居での初稽古になりました(^_^)

◇◇◇

明けて2月29日(月)、きょうから朝稽古を再開しております。もう2月も終わりなんですね。まさに光陰矢の如し。芸術は長く、人生は短い。走っていないとどこにも到着できないままこの人生が終わってしまいそうです(^_^;

きのう『書蒼』4月号が届きました。昨年の4月号から勉強を始めていますので、はや一年が巡りつつあります。2月号の昇段審査で、かな半紙・漢字半紙・ペン習字・実用書道(筆ペン)の4部門で初段をいただくことができました<(_ _)>

片付けはまだしばらく続きますが、きょうからはとりあえず、ほぼ平常運転にもどります。

きょうから水泳も復活(^o^) 墨だけじゃなく、水も恋し~い!

彡ミ彡;:。へ(*・o・)_ 彡ミ彡

それではまた~(^^)/

土日が勝負 ヘ(●′Å`○)ゝ

ひ~は~、一日くらいは仕事を休めばよかったなあ……後悔先に立たずとはこのことで。

帰宅してから深夜まで、こつこつと整理をしておりますが、いまだこのありさまであります(^_^;

201602勉強部屋ごちゃごちゃ2

週6通っているスイミングクラブもさすがに今週は休んでいます(早く泳ぎた~い)。

この土日が勝負どころ。少なくとも書道の稽古だけは再開できるようにしなければっ!

それではまた~(^^)/

引っ越し疲れヽ(-o-;)ノ

実は最近、引っ越しをしまして……、

201602勉強部屋ごちゃごちゃ

ずっと荷解きと片付けを続けておりますが、いまだこの有様、引っ越し疲れというやつに襲われております(^_^;

月~水のブログは引っ越し前に書いてあったものです。下書きしたものはまだいくらかあるものの、推敲してまとめる力が出てきません(-_-)

そんなわけで、今日はこれで失礼します<(_ _)>

それではまた~(^_^;

「可」は何故ひらがなになれなかったのだろう

前回、和歌の散らし書きでどのくらい変体仮名をまぜていくべきか、という問題について、こんなことを書きました。

 『高野切第三種』や『粘葉本和漢朗詠集』では、一首に5~6字くらい使っている例が多いように思います。このあたりを基準にしておこうかと思います。 ~

古筆によってはもっと多く使われているものもありますが、『高野切』などでは実際そのくらいの割合だろうと思います。

ところで、考えてみると、のちに分断されて今は『○○切』などとよばれている巻物――を書いた平安の能筆家たちには、ひらがなと変体仮名を区別する意識など当然ありませんよね。

後世、政府が「ka」は「か」と書くと決め、「可(か)」の方は一般には使われなくなり、異体字として変体仮名とよばれるようになる――なんてことを平安時代の人々は知る由もありません。

しかし、それにしても『高野切』などみると、ひらがなの含有率がやはりかなり高いわけです。

これは要するに、今ひらがなとよんでいる文字たちが当時すでによく使われる、ポピュラーなものだった――ということになるのでしょう。

つまり、明治政府も頭ごなしに「この音にはこれ」と決めていったわけではなく、よく使われる、人々に最もなじみ深いものを選んだ――ということではないでしょうか。

明治の文部省のお役人もまた、たくさんの仮名がある世界に生きていた人々ですから、どれが一般になじみ深い字かという経験的な知識は当然あったわけですからね。

ちなみに、明治政府によって仮名が原則として一字一音に統一された明治33年(1900年)以前は、学校でも一音に対し複数の仮名が教えられていました。一音一字でいくという方針が決まるまでにはそれなりの年月がかかっているのですね。

また、実は明治41年(1908年)に26の変体仮名が復活しています。これらは大正11年(1922年)に結局また廃止されました。

――近代化以後もそのまま多くの仮名を使い続けていたら、日本語は三種類の文字を使うだけでなく、一音にいくつも字があって気分でどれを選んで書いてもよい!という、とてつもなく面白い言語になっていたでしょう(^^)

ただ、古筆を勉強していくと、明治政府の選択が不思議に思えるところもあります。

前にも述べましたが、「可」を字母とした「ka」などですね。これは点画が少なく書きやすいためでしょう、使われる頻度は「か」を完全に凌駕しています。古筆の世界では「ka」といえば「か」でなく「可」、といえるほど頻繁に使われています。

しかし明治政府は「可」でなく「か(加)」の方を採用しました。ここがちょっと不思議なところですね。

なんでどす

このあたりの事情を書いた本などあればじっくり読んでみたいものです。

みずの仮名

( ̄ー ̄)ゞ お、水野晴郎さんニューバージョンきた(笑)

それではまた~(^^)/