書道史を学ぶ 12 王羲之登場前夜

小テスト

すべて硬筆書写検定1級・準1級で実際に出題された問題です。

次の文章で、正しいと思うものには○、誤っていると思うものにはXをつけてください。

1 平安中期の小野道風、藤原佐理、藤原行成を日本三跡という。(   )

2 『風信帖』は、空海から最澄にあてた手紙で円熟の境地に達している作である。(   )

3 『十七帖』は、最初の手紙の出だしが「十七日…」とあり、その名がある。(   )

正解は最後に掲載します。

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後漢王朝の腐敗、黄巾の乱、そして三国時代へ

1世紀から2世紀の初め、後漢は国力を安定させ、「匈奴」や西域諸国を服属させ、前漢の繁栄を取り戻しました。しかし、その後に外戚と宦官が私利私欲に走り権力闘争を繰り返した結果、政治は不安定化し、王朝の腐敗が進みました。これにともない、多くの農民が貧民化し、社会不安が高まっていきました。

後漢末の184年、新興の宗教団体に扇動された農民たちが大規模な反乱(黄巾の乱)を起こします。全国に拡がった反乱でしたが、後漢王朝はかろうじてこれを鎮圧することに成功しました。

この黄巾の乱を鎮圧する過程で、劉備、曹操、孫堅という、三国志の主人公たちが世に出てくるわけですが、これは書道史のお話なので、そちらには立ち入りません(^_^;

さて、その後も反乱は散発的に起こり、後漢王朝の屋台骨はいよいよぐらついていきます。皇帝の権力は衰える一方です。各地に群雄が並び立ち、覇を競い合うようになります。最終的に、天下は魏・呉・蜀の三国が分立する形勢となっていきます。

201608三国時代地図

さて、ここから王羲之の登場する晋代までの流れは、「書道史を学ぶ 3 書聖 王羲之(1) 蘭亭序」ですでに述べていますので繰り返しません。お話はようやく、そろそろ王羲之の時代に戻ってきます(^^)

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三国時代の重要な墨跡を少しみてみます。

小楷の名品 『薦季直表(せんきちょくひょう)』

魏の鍾繇(しょうよう)は、書道史上の重要人物のひとりです。後漢で高官職を務めたのち、魏で武官の長として、また政治家として重用された人物ですが、同時に能書家としても名高く、楷書・隷書(八分)・行書の三書体にすぐれていました。特に楷書の名手として知られ、王羲之にも影響を与えたといわれています。

201608薦季直表

『薦季直表(せんきちょくひょう)』(221年)

鍾繇の「繇」が画数が多くて見えにくいのと、機種依存文字のようなので、表記を画像にしておきます。

201608ショウヨウ

の墨跡も、王羲之のそれ同様、原本はいっさい残っていないのですが、『薦季直表』はおおらかさ、品格の点で非常にすぐれており、その表現は原本に近いのではないかといわれています。

もうひとつ、みておきます。

201608宣示表

『宣示表(せんじひょう)』

『宣示表』は楷書のルーツといわれており、楷書書法の基本のすべてが含まれているということです。

どちらの墨跡も気品がありながらまろやかな書きぶりで、みているとほっとするような気分になりますね(^_^) 私たちの見慣れている楷書と比べるとだいぶ素朴な感じです。そこがまた何とも味があって素敵です。隷書の雰囲気もちょっとだけ漂っている感じでしょうか。

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書写環境の大変化  竹簡・木簡から紙へ

始皇帝の定めた小篆を簡略化して日常の書体となった隷書でしたが、前漢代にはその典雅な姿態を完成させるとともに、主に改まった用向きにのみ使われるようになります。そして日常書体としては行書や、後述する章草が多用されるようになっていきます。

隷書が活躍した時代は非常に短いものでした。原因は隷書の書法そのものにも内在するようですが、書写材料の変化も大きかったようです。

この時代、書写の材料は竹簡・木簡から紙へと急速に代わっていきました。左手に竹簡や木簡をもって文字どおり上から下へ書いていたものが、机に紙をおき、手前に向かって書くようになると、姿勢も運筆法も変化せざるを得ませんでした。この変化が書体に与えた影響は、まことに大きかったと考えられます。

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章草から草書へ

後漢も末期になると正統な隷書は徐々に崩れはじめ、隷書と楷書の中間的なさまざまな書体があらわれてきます。そして鍾繇の墨跡に見られるような楷書体へと収斂していく一方で、隷書から生まれた別の書体も進化を続けていました。

章草といわれる、隷書の速書きから生まれてきた書体です。

201608章草

章草の単純化はさらに進み、これが後世の草書体につながっていきます。のちの草書の形や筆順には、隷書(あるいは篆書)の速書きである章草に由来するものが多いということです。

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現行の三書体が出そろう

篆・隷書を崩すことで行・草書が生まれました。そして、楷書のルーツといえる書体も現れてきます。この時期には筆や紙の改良が進み、書写環境も大きく変化していきます。これらの変化により、書の芸術的表現の可能性が開いてきます。

そこに、王羲之が登場してきます。

書聖とよばれる空前絶後の天才王羲之が現れたのはこうした時代を背景とする。王羲之はこの行草をとりあげてそれに永遠の生命を与えた人である。行草は今もって王の書法を唯一の典型としている。これは書道史上の最も大きなできごとのひとつである。」

『書の歴史 中国篇』伏見沖敬・著 筒井茂徳・補)65頁

行草書、そして楷書の現行三書体が出揃ったのは三世紀頃のことと言われています。そうした変化ののちに、王羲之という書道史上の最重要人物が登場してきます。四世紀初めのことでありました。

次回から、その王羲之の「仕事」についてみていくことにします。

ようやくって感じですね(^_^)

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きょうの自運(草書かな混じり)

20160811ペン自運「若山牧水」

201608青空とカモメ

※「白鳥(しらとり)」と読んでください。

それではまた(^o^)/

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小テスト解答

  1. (   ○  )
  2. (   ○  )
  3. (   ○  )