書道史を学ぶ 8 甲骨文字と金文

小テスト

すべて硬筆書写検定1級・準1級で実際に出題された問題です。

(問題1)上段の作品の筆者を下段から選んでください。

1 真草千字文   2 孔子廟堂碑      3 書譜

A 虞世南  B 孫過庭  C 智永  D 王羲之

(問題2)次の文章で、正しいと思うものには○、誤っていると思うものにはXをつけてください。

1 『楽毅論』は王羲之の書と伝えられている小楷である。光明皇后の『楽毅論』はこの臨書といわれる。(   )

2 『十七帖』は王羲之の代表作とよばれる書簡集である。(   )

3 『書譜』は王羲之の書いた書論、草書の手本とされている。(   )

正解は最後に掲載します。

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王羲之以前の時代をみていきます。

さて、「書道史を学ぶ」第2回

 紀元前16~15世紀頃に中国大陸に殷という王朝が起こりました。

と書いたのですが、近年の発掘調査により、殷王朝以前の文明の存在が明らかになっています。この文明が伝承されてきた夏王朝のものかについては、まだはっきりとは確認されていないようです。

※中華人民共和国の歴史学会では夏王朝の遺跡と断定しているようでが、諸外国の歴史学者の間には、断定は尚早との見方も少なからずあるようです。

また、殷王朝に先立つこの文明遺跡からは今のところ文字資料は発見されていません。したがって字や書の歴史は、やはり殷代から始まることになります。

甲骨文字の発見

清王朝末期の1899年、マラリアの持病に苦しめられていた考古学者・王懿栄(おういえい)が旅の薬屋から漢方薬の「龍骨」を求めたところ、骨の小片に文字のようなものが彫り込まれているのを発見しました。

これが発端となり、「龍骨」は考古学上の研究対象とみなされるようになり、広く収集されるようになります。亀の甲羅や牛の肩甲骨(甲骨)であることがわかり、さらには1904年、孫詒譲(そんいじょう)によって、これらの文字が殷代の占卜(せんぼく―占い)に使われたものであることが証明されました。

201605甲骨文字1

亀の腹甲に刻み込まれた甲骨文字

殷墟の発掘

清朝から中華民国にかわって1928年、文字の刻まれた「龍骨」が大量に出土する小屯(しょうとん)という村(河南省安陽市近く)で大々的な発掘調査が開始されました。

20160511殷墟の発掘

長期にわたる発掘作業により、膨大な量の甲骨や墳墓の存在が明らかとなりました。発掘結果は、『史記』などが伝える殷王朝の系図がほぼ歴史的事実であることを示しており、二十世紀最大の考古学的収穫と称えられました。

神意を伝える甲骨文

殷の都は安陽以前にはもっと南の鄭州にあり、そこからも卜いに使った亀の甲羅や獣骨は出てくるのですが、それらには文字が刻まれていません。つまり、都が安陽に移ってからこれらの文字が生まれたことになります。

それは殷王朝後期の武丁の時代でした。王が神意を問い、それを伝え、正しい判断をしたことを記録するために文字が創られました。それにより王権の宗教的権威を高める意図があったものと考えられます。

神との交信手段である文字は、一気に大量に創り出されました。四千数百という字が、ごく短期間のうちに創り出されたといいます。

神と王との交信記録は、毎日のように甲骨に刻まれました。当時すでに筆や墨が存在していたことは確認されているのですが、筆で書くのはあくまで下書きで、刻まれた文字こそが神聖で正式な文字とみなされたようです。

甲骨文の例を少しみてみます。

201605常用字解「王」

「王」はそのシンボルである鉞(まさかり)の象形

『常用字解[第二版]』(白石静・著)より

201605甲骨文十二生肖

甲骨文十二生肖(甲骨文字の十二支)

鼠  牛  虎  兎

龍  蛇  馬  羊

猿  鳥  犬  猪

甲骨文字は直線的で単純な文字も多いのですが、このような絵文字的なものもあり、古代人の世界観が抽象的に表現されています。

発見当初は原始的な象形文字ばかりと思われていましたが、その後、意味を表す部分と音を表す部分が組み合わされた、かなり進化した段階にある文字も見つかっています。

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殷から周へ

稀代の悪女・妲己(だっき)にたぶらかされた殷朝三十代・紂王(ちゅうおう)は政治を顧みず、夜になれば宮殿の池に酒を満たし、庭木に肉をかけて狂宴を催した(酒池肉林)と司馬遷の『史記』は伝えています。

この紂王の代で殷は、周の武王によって滅ぼされます。――紂王の悪政だけが原因で殷が滅んだように言うのはちょっと無理があるんじゃないかと個人的には思っておりますが(^_^; ――殷の滅亡は紀元前1100年頃のことと考えられています。

周は、基本的には殷の文化と技術を継承しましたが、殷が万事を卜辞によって占った宗教国家であったのに対して、周は実質的な力を重んじる政治国家として栄えていきます。

金文の世界

殷・周の時代には、さまざまな目的に応じて多くの青銅器が鋳造されました。

201605殷周の青銅器

殷・周時代の青銅器

これらの青銅器に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字を金文とよびます。

殷代の金文はその多くが図象的なもので、まだまだ象形文字らしさを残していますが、後には文字らしく変化していくとともに、鋳造の由来なども書くようになり、長文化していきます。

201605殷後期金文

殷代後期の金文

甲骨文と文字の構造は似ていますが、粘土で鋳型を造る際に彫り込んでいるため、線は太細の変化に富み、まろやかな書きぶりになっています。

祭祀の文字から政治の文字へ

周が殷を滅ぼしてから、異民族の侵入によって東の洛陽に遷都する紀元前771年までを西周時代とよびます。

西周時代には、殷代のような神権政治は衰退し、甲骨の使用が急激に減っていきました。また、青銅器の用途も、祭祀用から政治儀式用へと変化していきます。金文銘は長くなり、その内容も世俗的な内容の記録が増えてきます。

こうした変化は、文字そのものも変えていきました。文字の背後にあった宗教的象徴性が失われ、線の太さは画一化し、文字としての完成度が上がっていきます。

台北・故宮博物院に所蔵されている散氏盤(さんしばん)は、金文の最も成熟した書風を示しているとされます。

201605散氏盤

散氏盤

201605散氏盤2

数百字に及んで世俗的な出来事に関して記録されている。

周王朝が興って280年後、周は異民族の圧力に屈して洛陽に遷都します。以後を「東周」とよびます。洛陽遷都後も周王朝はさらに550年余り続くのですが、西周時代の統一的秩序は大きく崩れ、天下は群雄割拠の時代に入っていきます。この時代の前半を春秋時代、後半を戦国時代とよんでいます。

次回はその春秋戦国時代から書き始めることにいたします。

それではまた(^^)/

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小テスト解答

(問題1) 

  1. 真草千字文 ―― C 智永
  2. 孔子廟堂碑 ―― A 虞世南
  3. 書譜 ―― B 孫過庭

(問題2) 

  1. (   ○  )
  2. (   ○  )
  3. (   X    )