書道史を学ぶ 4 書聖 王羲之(2) 集字聖教序

復習テスト

すべて実際に硬筆書写検定1級・準1級で出題された問題です。

(問題1)上段の作品の筆者名を下段から選んでください。

1 顔氏家廟碑   2 温泉銘  3  蘭亭序

A 唐太宗  B 顔真卿  C 虞世南  D 王羲之  E 欧陽詢

(問題2)次の文章で、正しいと思うものには○、誤っていると思うものにはXをつけてください。

1 能書家虞世南、欧陽詢、褚遂良、顔真卿は「唐の四大家」と賞賛されている。(   )

2 王羲之が蘭亭で曲水の宴を開き、当日の様子を書いた序文が蘭亭序といわれている。(   )

3 初唐の書を代表する書体の一つは楷書で、それを能くした人物に欧陽詢、虞世南、褚遂良がいる。(   )

正解は最後に掲載します。

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王羲之の書には、「神品」とも評される『蘭亭序』以外にも行書の名品が存在します。

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喪乱帖』(そうらんじょう)

201605『喪乱帖』

王羲之の書に心酔していた唐の太宗は双鉤填墨(そうこうてんぼく)により多くの精巧な模本を作らせました。

双鉤填墨 中国で文字を写し取る方法の一つ。写そうとする文字の上に薄い紙を載せて謄写する。最初に輪郭を線で写し (双鉤)、中に墨を補填 (填墨) する方法をいう。

現存する模本はわずかしかないということですが、この『喪乱帖』は奈良時代に伝えられ、現在我が皇室の御物となっています。王羲之晩年の書の姿を伝える作例で、書道史上のたいへん貴重な資料となっています。

『喪乱帖』は先祖の墓を荒らされたことを歎く尺牘(せきとく)で、その内容から王羲之が官を辞して会稽の逸民となっていた54歳のときの書写と考えられています。

尺牘 手紙のこと。古来中国で一尺四方の牘 (木の札) を書簡に用いたことに 由来する。日本では漢文体の書簡 をさす(和文体のものは「消息」とよばれる)。

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集字聖教序』(しゅうじしょうぎょうじょ)

集王聖教序』(しゅうおうしょうぎょうじょ)とも呼ばれます。

201605『集字聖教序』

聖教序とは

「聖教」というのはお釈迦様の説いた教え、つまり経典のことです。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)という僧が天竺(インド)まで仏教の経典を探す旅に出て、たいへんな苦労の末に帰国し、持ち帰った仏典を漢訳しました。太宗がそれに書いた序文が、すなわち「聖教序」です。

ちなみに、三蔵の苦難の旅を題材にして作られた物語が、あの『西遊記』です。

201605西遊記

昭和53年(1978)から55年にかけて放送されたドラマ『西遊記

三蔵法師役の夏目雅子さん、美しかったわ~(*´ー`*) 演技力も素晴らしい女優さんでした。本当に惜しい人を亡くしました(合掌)

閑話休題

集字~20年以上の大事業

文章に合わせて古典作品などから字を集めて書跡をつくることを「集字」といいます。

貞観(じょうがん)二十二年(648)、宮中にある王羲之の真跡から文字を写し取る作業が始められました。真跡にない字は文字の部品を集め、拡大したり縮小したりして文字が作られました。碑が完成したのは太宗没後、三代高宗の時代で、実に20年以上の歳月を費やした大事業でありました。

201605『集字聖教序』バランスの悪い字

部品を集めて作字したため、偏と旁のバランスの悪いものもある

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皇帝も崇拝した王羲之の書は唐の人々の憧れの的でしたが、すべてが宮中に集められ、一般人にはほとんど鑑賞する機会がありませんでした。そんな中、こうした集字碑だけはふつうの人々も観ることができました。

『集字聖教序』とともに集字碑の代表作といわれる作品に『興福寺断碑』(こうふくじだんぴ)(721)があります。

201605『興福寺断碑』

興福寺断碑

『集字聖教序』と比べて、結構は穏やかでゆったりした感があります。

「断碑」とは折れた碑という意味です。この碑は明時代に西安近郊で出土したのですが、破損し断片しかなかったのでこの名がつきました。下半分しかないため、文意を取ることはできないということです。

次回は楷書作品をご紹介します。

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復習テスト解答

(問題1) 

  1. 顔氏家廟碑 ―― B 顔真卿
  2. 温泉銘 ―― A 唐太宗
  3. 蘭亭序 ―― D 王羲之

(問題2) 

  1. ( ○ )
  2. ( ○ )
  3. ( ○ )

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それではまた(^^)/