古筆をよむ 12 粘葉本和漢朗詠集 124 わかやとの

このブログではこれまでに38字の変体仮名を勉強してきました。読める仮名をさらに増やしていきたいと思うのですが、『高野切第三種』や『粘葉本和漢朗詠集』では、なかなか未習の字に出会わなくなってきています(使用頻度の高い字を学んできたということなのでしょう)。

ところが先日、未習の字が使われている和歌はないかなとつらつら法帖を眺めていますと、まるで漢字ばかりで書かれたように見える歌に出会いました。異様なほど漢字のイメージが目にとびこんできます。その見え方に興味を感じ、今回はこれをみてみることにしました(^^)

『粘葉本和漢朗詠集』の124番です。

まずはみてください。

201605-1粘葉本和漢朗詠集124

一見して漢字だらけ、という印象ではありませんか?

この歌には漢字そのものが(よみびとの名前以外に)二字、含まれています。そして、残りは漢字の草書からさほど略化が進んでいない段階の仮名ばかりで書かれているんですね。

こういう仮名を「草」と呼びます。前にちょっとだけ触れたことがあったと思いますが、もういちど簡単に用語の整理をしておきます。

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真名・真化名・草化仮名(草仮名)・草・平仮名・片仮名

漢字が移入されてしばらくは、漢字は漢文を書くための文字としてのみ使われました。英語をアルファベットで書くように、中国語を表記するための字としてのみ、使われていたわけです(つまり日本語はまだ書けませんでした)。

漢語を表記するために書かれた漢字は「真名(まな)」ともよばれます。のちに出てくる「仮名」との対立概念で、「正式な字」というほどの意味です。

しばらく後に漢字の音を利用して日本語を表記する方法が現れます。8世紀、万葉集の時代になるとさかんに行われるようになり、発達していきます。

万葉集(600番)の例をみます。

父母乎 美礼婆多布斗斯  妻子美礼婆  米具斯宇都久志

(父母を みればたふとし  妻子みれば めぐしうつくし)

父母を見ると尊く思われる 妻子を見るとかわいく愛しく思われる

漢字の楷書で書かれましたが、中身は日本語です。このように日本語の表記に使われた楷書を「真仮名(まがな)」とよびます。万葉集の時代にさかんに使われたので「万葉仮名(まんにょうがな・まんようがな)」ともよばれています。

平安時代(8世紀末~)になると、日本語の表記をもっと簡便なものにするために真仮名の簡略化が進んでいきます。

方法は二種類あり、一つは漢字の草書(や行書)を簡略化していく方法で、「草化仮名(そうかがな)」または「草仮名(そうがな)」とよばれます。そのうち、草書の形から遠く離れていないものが「(そう)」、元の草書の形から離れて新たな形を得たものが「平仮名」とよばれています。

もう一つの方法は楷書の一部を取り出す(一部を省略する、といってもよいでしょう)もの、つまり「片仮名」です。

今回の歌は大部分、述べたような「草」で書かれています。漢字のイメージが強く紙面に出ていますから、略化の進んだ変体仮名よりかえって読みやすいところもあるかと思います。

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では、よんでいきます。

201605-1粘葉本和漢朗詠集124-1

也東」(わかやとの

いつもは変体仮名はすべて赤字にしていますが、今回は変体仮名だらけなので、未習のものだけを赤で示すことにします。

」「」は草といってよい形です。

」は今のひらがな「や」そのままに見えるのですが、この字は草書の段階ですでにほとんどこの形でした。

201605新書道字典「也」

『新書道字典』(藤原鶴来・編纂)より

つまり、「や」はほぼ古形のまま現在まで生きながらえている、まるでシーラカンスのような字なのであります(^^)

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201605-1粘葉本和漢朗詠集124-2

者那美可天良仁」(はなみかてらに

」[ra]。字母の草書のイメージをかなり残した、草です。

」[te] 。古くは「弖」(既習)を字母とした[te]の用例が多く、平安時代以降はこの「天」が主流となっていったようです。

201605かな字典「天」

『かな字典』(関口研二・著)より

」[ni」 これ、ほとんど漢字のままですね(^^)

『高野切第三種』などでは略化の進んだ「に」か、あるいは「尓」が多く、ここまで漢字のイメージを残した形は見られないのではないかと思います。

[ni]はこの「仁」を字母とした形で書かれた用例が古くからあるものの、全体としては「尓」で書かれることが圧倒的に多かったようです。

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201605-1粘葉本和漢朗詠集124-3

久留」(くる人は

「人」は漢字です。他は既習の仮名です。

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201605-1粘葉本和漢朗詠集124-4

地里無乃知」(ちりなむのちそ)

」「」とも仮名としての略化が進んでおらず、草といえます。

」[mu]、漢字字典を見てもかな字典をみても、ほとんど変わらないイメージです。

201605新書道字典「無」草書体

『新書道字典』(藤原鶴来・編纂)より

201605かな字典「無」『かな字典』(関口研二・著)より

」もほとんど草書そのままの形ですね。

」も、漢字字典を見れば、ほぼ草書の形そのままであることがわかります。

201605新書道字典「知」『新書道字典』(藤原鶴来・編纂)より

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201605-1粘葉本和漢朗詠集124-5

恋之邊起」(恋しかるへき

「恋」は漢字です。

」[ka]   草書体とほとんど違いがなく、これも草といえます。

201605かな字典「我」」[he]は真仮名の時代から使われてきた伝統的な仮名です。まず漢字字典をみてみます。

201605新書道字典「邊」草書体

『新書道字典』(藤原鶴来・編纂)より

次にかな字典。

201605かな字典「邊」

『かな字典』(関口研二・著)より

『高野切第三種』やこの『粘葉本和漢朗詠集』などでは漢字の草書とちょっと筆画が違っていますが、平安時代にはこの形も異体字として通用していたそうです。

」[ki] は真仮名の用例はなく、草仮名としても「支」や「幾」に比べると用例は非常に少ないようです。草書体からの変化もわずかで、これまた草ということになります。

201605角川書道字典「起」

『角川書道字典』(伏見冲敬・編)

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全体を再掲して、よんでいきます。

201605-1粘葉本和漢朗詠集124

也東能 者名美可天良仁 久留人盤

地里乃知所 恋之邊起  躬恒

わかやとの はなみかてらに くる人は

ちりなむのちそ 恋しかるへき  躬恒

我が宿の 花見がてらに 来る人は

散りなむ後ぞ 恋しかるべき   躬恒

語釈

散りなむ後 散ってしまうだろう後(動詞「散る」の連用形「散る」+完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」)

意味

我が家に花見がてらに来る人は

散ってしまった後に恋しくなるでしょう  躬恒(みつね)

201605桜散る

桜を観にきた訪問客に贈った歌だということですが、ちょっと解釈がむずかしい歌ですね。

今は桜を観るのに心が奪われ、訪問客のあなたのことなど思っていられない、あなたのことを考えるのは桜の散ったあとです――ということなのでしょうか。だとしたらちょっと失礼な話ですが、相手はこういう洒脱な言い方が許される、気のおけない親密な関係の人なのでしょうね。

あるいは、全体に謙遜の気持ちの漂った歌、とみることもできそうです。「花見がてらに」来たと仮定したところにすでに謙遜の気持ちが表れています。その仮定に立って「だから花の散ったあとはもう来てくれないでしょうね、でも私はあなたを恋しく思うでしょう」というのです。つまり「桜が散ったあとも遊びにきてね」という気持ちを伝えた歌、とみてもよいかと思います。

よみびとは凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。平安時代前期の歌人です。百人一首のこの歌で有名ですね。

201605凡河内躬恒

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今回あらたに13字を学びましたが、「也」と「仁」はそのまま読めてしまう形だったので11字と数えて(^_^; 既習の仮名は通算49字、ということにしておきます。

たいへんお疲れ様でした。

連休、楽しくお過ごしください。それではまた(^^)/