書道史を学ぶ 2 唐太宗と初唐の三大家

前回ご紹介した『字と書の歴史』で著者の江守賢治先生は、中国書道史に関してこのように述べておられます。

  • 書家個人としては王羲之(おうぎし)が最も重要で、時代としてはが最も重要である。

「書聖」とよばれる王羲之は東晋(317-420)時代の人で、365年頃の没と伝えられています。この4世紀の書家が7世紀、唐代になって改めて高く、極めて高く、評価されることになります。

ここでは進行を『字と書の歴史』に倣い、王羲之その人の書にふれる前に、彼の書が再評価されることになった唐という時代についてまずざっと学んでおくことにします。

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紀元前16~15世紀頃に中国大陸に殷という王朝が起こりました。以後、→周(西周)→東周→春秋・戦国→ 秦→ 前漢→新→後漢→魏蜀呉(三国)→晋(西晋)……と国家の興亡がくりかえされたのち、書聖とよばれる王羲之の活躍する東晋時代がやってきます。

ときは4世紀。我が国は大和時代(古墳時代)、人々が――

201604古墳時代の服装

こんな服装をしていた時代だといえば、王羲之がいかに古い時代の人か、日本の私たちにもよく伝わってくるのではないでしょうか。

さて、そこからさらにめまぐるしい王朝交代あるいは分裂劇がくりかえされまして……、

東晋→(南朝)宋→斉→梁→ 陳

五胡十六国→(北朝)北魏→東魏/西魏→北斉/ 北周

このようにしばらく王朝が南北に分かれる時代が300年ほど続きますが、それを隋が統一します。しかし二代煬帝(ようだい)の失政・悪政によって滅亡、唐(618-907)が興ります。C= (-。- ) フゥー

ときは7世紀、我が国は初の女帝である第33代・推古天皇(在位592-628)の御代であり、聖徳太子の活躍せられた飛鳥時代であります。以後、平安時代の半ば頃までの約300年間、大陸では唐王朝が続きます。

この300年間を三つの期間に区切って、初唐中唐晩唐といっています。

唐の高祖(王朝の始祖)となる李淵(りえん)は、隋の煬帝の悪政に天下が乱れ群雄が蜂起するなかを息子の李世民(りせいみん)のすすめで挙兵、隋を滅ぼし唐を打ち立てます。

その後、李世民は父をたすけてよく働き、のちに二代皇帝につきます。死後「始祖に次いで功績のあった皇帝」として「太宗(たいそう)」という廟号を贈られています。

さて、太宗李世民(598-649)は卓抜たる政治力で唐王朝を栄えさせるのですが、同時に教養を高めることにも熱心な皇帝で、書を愛する人でもありました。特に王羲之の書に心酔していたと伝えられています。

201604太宗

唐・二代皇帝 太宗

太宗のもと、書に秀でた臣がたくさん現れます。そのうち特に有名なのが――

虞世南(ぐせいなん) 558-638

欧陽詢(おうようじゅん) 557-641

褚遂良(ちょすいりょう) 602?-664

初唐の三大家」と呼ばれるこの三人です。生没年を見るとわかるように、虞世南と欧陽詢は年齢が近く、褚遂良はふたりより40歳ほども年下です。

※ちなみに「欧陽詢」は「欧陽」が姓で「詢」が名です。台湾出身の歌手・欧陽菲菲(おうやん・ふいふい)さんと同姓です。ご先祖様でしょうか(^^)

201604欧陽菲菲

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唐の三大家の代表的な作品をみていきます。

虞世南 『孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)

201604『孔子廟堂碑』

628年、太宗は文教復興のために都・長安の孔子廟を改修します。その完成を記念して建てられたのが孔子廟堂碑です。撰文・書ともに虞世南の作。

書作品の特徴や評価などについては、参考書からの受け売りで簡単に書いておきます(^^)

穏やかで気品のある書風は「初唐第一の名品」とされ、楷書の最高のの手本の一つといわれています。

虞世南は王羲之七世の孫とされる智永に書を学び、その書法を継承したと伝えられています。

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次は、欧陽菲菲さんの先祖かもしれない(笑)――

欧陽詢 九成宮醴泉銘』(きゅうせいきゅうれいせんめい)

632年、太宗が九星宮という離宮に避暑に訪れたとき、一隅から清水が湧き出ているのを見つけました。これを吉兆とみた太宗は一流の文章家に文を作らせ、欧陽詢に碑を書かせました。

201604『九成宮醴泉銘』

隅々まで神経のいきとどいた端正な書風は、古来より「楷書の極則(ごくそく)=最高の規範」と呼ばれています。

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褚遂良 『雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)

201604『雁塔聖教序』太宗は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が苦難の末にインドから仏典を持ち帰って広めた功績を讃え、都・長安の慈恩寺にある大雁塔(だいがんとう)に「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」という碑を建立しました。二つの碑を総称して「雁塔聖教序」とよんでいます。

文は太宗自身とその皇太子がつくり、褚遂良が書いています。

2016041西安大雁塔

長安(現・西安市)の慈恩寺の大雁塔。南門に『雁塔聖教序』が埋め込まれています。

しなやかで張りのある楷書表現であると評されています。一部に点画が連続する部分もあり、行書的な雰囲気を感じさせるところがあります。

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向勢・直勢・背勢

楷書のタテ画の書き方に、向勢・直勢・背勢というのがあります。大事な用語なので覚えておきたいと思います。向勢は向き合う線が外側にふくらむ書き方、直勢はまっすぐ向かい合い、背勢は逆に反った形になります。

『孔子廟堂碑』は向勢の典型といわれていますが、みていくと直勢や背勢で書かれたところもあるようです。

201604向・直・背勢

「固」向勢   「其」直勢   「用」背勢

『臨書を楽しむ〈2〉虞世南 孔子廟堂碑』より

対して『九成宮禮泉銘』は背勢の典型といわれ、引き締まった表情をみせています。

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ところで、唐の時代には記憶しておくべき書家がほかにもいるのですが、ひとりはこの人です。

顔真卿(がんしんけい) 709~785

中唐の人で、ここでは詳しくふれませんが、初唐の三大家にこの人を加えて「唐の四大家」という言い方をすることもあります。

顔真卿にはこのような作品があります。

顔氏家廟碑』(がんしかびょうひ)

201604『顔氏家廟碑』

すごい迫力ですね(^^) 唐の時代は初唐の三大家によって王羲之の流れをくむ楷書表現が極められた時代でしたが、その伝統に立ち向かうような斬新で重厚な書きぶりに驚かされます。

中国書道史上の重要人物のひとりである顔真卿とその作品については、後日また触れることにします。ここでは顔真卿の名と、上の作品名、それから「初唐の三大家」にこの人を加えて「唐の四大家」という言い方をすることもあることを覚えておきたいと思います。

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最後に、王羲之の書を深く愛し、唐時代の書風の方向性を決めた太宗自身の書もみておきます。

太宗 温泉銘』(おんせんめい)

201604『温泉銘』

都・長安近郊におかれた唐王朝の離宮の温泉の効用や風物をたたえた碑だそうです。649年、亡くなる前年の作。

王羲之に心酔し、自らその書法を学び、その能書ぶりは歴代皇帝第一とされる太宗の気品あふれる行書の名品であり、王羲之書法を彷彿とさせるものと評されています。

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政治文化両面で唐の全盛期を築き、歴代第一の名天子と仰がれる太宗――彼が心酔したという王羲之の書とはどんなものだったのでしょうか。次回からみていきたいと思います。

それではまた(^^)/