書蒼27年9月号 実用書道随意

いろいろアラはありますが、肝心の宛名がうまく書けてないのが目立ちます。時間切れ提出です。

書蒼201509実用書道随意

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岡田崇花先生の筆ペンの手紙文の美しいこと、溜息が出るようであります。

書いてみると本当にむずかしいです。連綿(続け書き)を含む行書文は特にリズムと全体の流れが大事になるので、臨書も一字一字を目で追うようにしているうちは、なかなかうまく書けません。何度も書いて、ある程度リズムと流れがつかめてこないと、見られる清書になってきません。

特に連綿の部分は、一字ずつを見ているうちはうまく真似ができません。たとえば文末の「ます」。これを、「ま」を見て「ま」と書き、次に「す」を見て「ま」につなげるように書く……ということをやっているうちは、なかなかうまく書けませんでした。

それでお手本の見方を少し変えてみました。

「ま」と「す」のつなげ方を学ぶという意識を捨てて、「ます」と読む新しいかなを学ぶような意識で真似てみることにしたのです。「ます」をひとかたまりに見て、まるごと真似る。私の場合、連綿についてはそういう学び方の方がどうもうまくいくようだと気がつきました。

字のつなげ方の規則を学び、それで連綿を書くというのを外国語の学習にたとえるなら、文法規則をまず学び、規則にしたがって作文(発話)する、というようなことですね。演繹的な学習法というやつです。大人――特に理屈っぽい男性(^^;――が好む勉強法だと思います。

一方、子供が言葉を覚えていくように、理屈ぬきにまるごと先生の真似をする。それを繰り返す。そうして規則を規則と意識しないまま習得していくというやり方があります。帰納的学習法、といわれるものです。

私の場合、少なくとも連綿については、どうも子供のように帰納的に学んでいくのが性に合っているようです。

といって、書道の技術のすべてを帰納的に習得していくにはたいへんな時間がかかります。子供や若い人のようには残された時間のない私など中高年は、やはり先生から「書き方のコツ」(書道の文法)のようなものをどんどん教わって習得の速度を上げていかなければなりません。

また、いつか人に教えたいと思うなら、演繹的な学習もしっかりしておかなければなりませんね。帰納的に無意識に身につけた技術について、他人に言葉で伝えるのはむずかしいからです。

「だらだらつまらんことを言ってないで稽古を続けなさい」

天の声?稽古に戻ります(^^;

それではまた(^^)/