「可」は何故ひらがなになれなかったのだろう

前回、和歌の散らし書きでどのくらい変体仮名をまぜていくべきか、という問題について、こんなことを書きました。

 『高野切第三種』や『粘葉本和漢朗詠集』では、一首に5~6字くらい使っている例が多いように思います。このあたりを基準にしておこうかと思います。 ~

古筆によってはもっと多く使われているものもありますが、『高野切』などでは実際そのくらいの割合だろうと思います。

ところで、考えてみると、のちに分断されて今は『○○切』などとよばれている巻物――を書いた平安の能筆家たちには、ひらがなと変体仮名を区別する意識など当然ありませんよね。

後世、政府が「ka」は「か」と書くと決め、「可(か)」の方は一般には使われなくなり、異体字として変体仮名とよばれるようになる――なんてことを平安時代の人々は知る由もありません。

しかし、それにしても『高野切』などみると、ひらがなの含有率がやはりかなり高いわけです。

これは要するに、今ひらがなとよんでいる文字たちが当時すでによく使われる、ポピュラーなものだった――ということになるのでしょう。

つまり、明治政府も頭ごなしに「この音にはこれ」と決めていったわけではなく、よく使われる、人々に最もなじみ深いものを選んだ――ということではないでしょうか。

明治の文部省のお役人もまた、たくさんの仮名がある世界に生きていた人々ですから、どれが一般になじみ深い字かという経験的な知識は当然あったわけですからね。

ちなみに、明治政府によって仮名が原則として一字一音に統一された明治33年(1900年)以前は、学校でも一音に対し複数の仮名が教えられていました。一音一字でいくという方針が決まるまでにはそれなりの年月がかかっているのですね。

また、実は明治41年(1908年)に26の変体仮名が復活しています。これらは大正11年(1922年)に結局また廃止されました。

――近代化以後もそのまま多くの仮名を使い続けていたら、日本語は三種類の文字を使うだけでなく、一音にいくつも字があって気分でどれを選んで書いてもよい!という、とてつもなく面白い言語になっていたでしょう(^^)

ただ、古筆を勉強していくと、明治政府の選択が不思議に思えるところもあります。

前にも述べましたが、「可」を字母とした「ka」などですね。これは点画が少なく書きやすいためでしょう、使われる頻度は「か」を完全に凌駕しています。古筆の世界では「ka」といえば「か」でなく「可」、といえるほど頻繁に使われています。

しかし明治政府は「可」でなく「か(加)」の方を採用しました。ここがちょっと不思議なところですね。

なんでどす

このあたりの事情を書いた本などあればじっくり読んでみたいものです。

みずの仮名

( ̄ー ̄)ゞ お、水野晴郎さんニューバージョンきた(笑)

それではまた~(^^)/